黒い帽子を目深にかぶって街を歩く青年。数か月前まで海賊処刑人と呼ばれ、ときにならず者たちを恐れさせていたその彼が夕暮れの街を歩く。傍らにはまだ幼い子どもの姿があった。
「兄ちゃんおれにも持たせろよ!」
買い物袋を指さして話かけてきた妹アデルにシュライヤは首を振る。
「駄目だ」
「けち!」
口をとがらせてそっぽを向いてしまった妹に仕方ないとシュライヤは小さな包みを差し出した。
「ほらこれ。落とすなよ」
「ほんとか! いいのか! ……兄ちゃんありがとう!」
再会してまだ日も浅い妹からの素直な感謝にシュライヤはいまだ慣れることができずただ曖昧に頷いてみせる。
八年に及んだ復讐の旅を終え、妹にならうようにして踏み出した一歩。ときたまぎこちない瞬間があるもののアデルとのやりとりには少しずつ迷いが減ってきていた。はじめこそ探り合うようなたどたどしさがあったものの今は随分と慣れた調子で会話をすることができている。
「あ! じっちゃん! おーい、ただいまー!」
元気に駆けだした妹の向かう先には見慣れた老人の姿。勢いこんで走っていったアデルはちょうど老人の目のまえで派手に転んでしまったもののすっかり慣れているのか慌てるでもなく老人は朗らかに笑ってアデルを迎えた。
「大丈夫すぐ治る。いいかアナグマ少ししみるぞ」
老人、ビエラは涙ぐんだアデルをうまくあやしてテキパキと手当する。少女と老人が二人そろって笑いあうのを少し離れた場所からシュライヤは見守っていた。彼らの安穏とした柔らかな雰囲気を感じるうちにシュライヤは一人の女のことを思い出していた。
「シュライヤ! あんたまた怪我したでしょ! 腕見せて」
痛がるそぶりも患部をかばうそぶりも見せなかったというのにいつだって彼女はシュライヤの不調を見抜いた。
「ちょっとじっとしててね。あァやっぱり熱があるね。今日は安静にしてなよ?」
大したことないと見ないふりをしたはずの微熱にも彼女にかかればお見通しだった。彼女と出会ったのはとある島。低額の賞金がかけられた男たち、要はチンピラに毛が生えた程度の輩に絡まれていた彼女を当面の生活費確保目当てに助けたのが出会いだった。意識を刈り取り損ねた一人から不意打ちをくらったもののすぐにねじ伏せた。軍に突き出して換金しようと低額賞金首を引きずって歩き始めたところ、その女はシュライヤを引き留めた。
「怪我してる」
そう言って彼女が示した場所にはかすり傷といって差し支えないような本当に大したことのない傷がついていた。こんなものと腕をふりほどこうとするとその初対面の女は声を張り上げてシュライヤをしかりつけてきた。面倒を起こしたくない一心で仕方なくシュライヤは彼女の手当てを受けた。
けれど彼女の手当てはその一度にとどまらなかった。決して治安がいいとは言えないその島や近海でシュライヤが賞金首を倒すたびに彼女が飛んできて「ちゃんと手当しなさい! 放置しちゃダメ。必ずわたしに連絡しなさーい!」と一喝するのだった。そしてとうとう彼女はただ一言「見てらんない!」と言い放つとシュライヤの旅に着いてくるようになってしまった。
彼女は今頃どうしているだろうか。何も知らずにただ心配ばかりして口うるさく身を案じてくれていたあの女はいまどこで何をしているんだろう。ガスパーデが裏レースに出るという情報を仕入れた日。その日シュライヤは彼女を置いて近くの乗合船に飛び乗った。たとえ命を落としてでも復讐を遂げようというときにいたっては手当なんていらなかった。手当てをして治して向かうべき次なんて待っていない、はずだった。
アデルとビエラが家に入ったのを見届けてシュライヤもそのあとに続いて玄関扉をくぐる。買い物袋の中身を片付けてから部屋の隅に置いていた電伝虫を手にとった。深呼吸を一つしてシュライヤは記憶の中からその番号を探し出す。
プルプルプル、プルプルプル……プルプルプル、プルプルプル……
ガチャ。
「はい、もしもし」
「怪我した」
「は? あ! こら!! シュライヤ!!!!」
電話の向こうで騒々しくがなり立てる懐かしい声にシュライヤは平穏をまた一つ思い出すのだった。