「シャンクスの話ってほんとうに面白いわ! 海の中で生活してる私にも知らない海の世界がこんなに沢山あるなんて」
岩陰からは一組の男女の笑い声がきこえてくる。一人は麦わら帽子を被った人間の男、もう一人は下半身を美しい鱗に覆われた人魚の女。
「な?おもしれーだろ! だから一緒に行こう。おれたちの船に乗れよ」
今にも連れて駆け出していきそうなシャンクスの腕を掴んで彼女は首を振った。
「一緒には行けないし、船にも乗らない。私が人魚だってこと忘れてるの?」
「おれはお前と一緒に旅したら絶対おもしれェと思うんだ。なァ来てくれよ!」
必死な様子のシャンクスに彼女はまたくすくすと笑い出す。
「そんな無茶言わないでよ」
「無茶じゃないさ。おまえだって他所の海や島の冒険話をあんなにせがんできたじゃねェか。本当は見てみたいんだろ?」
「シャンクスの話だけでもう十分おなかいっぱいになったわよ。それに他所じゃ人魚の扱いもここらとは違うってことくらい知ってるし、それにここで育った私には外の海を泳ぐ力がきっと足りない」
人魚は笑う。
一度は憧れたここより難れた海だったがそこがどんなに恐ろしい場所かこんこんと家族たちから聞かされた。 ここは辺鄙な田舎だから迫害や人攫いなんて輩が現れないし海流も荒れることがないのだと聞く。彼女は優しい人間たちと穏やかな海だけを見て育った。 しかし人間は恐ろしくそして外の海も激しく気まぐれな海流ばかりで恐ろしい場所なのだと真剣に語る家族達を前にして心がすくんでしまった。
「そんなの! お前を悪く言う奴も狙ってくるような奴らも全部おれは許さねえし、 お前を守れるくらいの力はあるから心配するな。 それにもしお前が泳げなくたって船に水槽でなんでも作りゃ済む話じゃねェか。おれたちゃ海賊だ。船に乗って自由にどこへでも行けるさ」
そう言われて人魚の瞳は初めて揺らいだ。 それでも一瞬の後には俯いて 「でも」 と口を開く。
「そんなのってわたしやっぱり駄目よ。行けない」
頑なに断る彼女の手を取りシャンクスは額にあてて乞い願う。
「なァおれはお前に惚れてンだ。頼むからおれと一緒に来てくれ」
彼女の手が強ばるのをシャンクスは感じた。
「……だめ。 いかない」
「どうしても、 か?」
「どうしてもよ」
嘆くように言い放つと手を振り解き人魚は、さぶりと波音をたてて海へと帰っていった。
それから数日来る日も来る日も今までと変わらず笑って話す二人の姿があった。 海へ出る話にだけは触れずただ楽しい話だけをして過ごす二人。
しかし別れの時は近づいてきていた。
「お頭もうすぐ記録が溜まる。あと二、三日もすれば出られるはすだ」
今朝そう報告を受けたシャンクスはいつもの岩陰へ向かう。いつもどおり陽気に語らい今日もお開きまた明日となる空気の中、
「ああそうだあと二、 三日でここを出ることになりそうなんだ。だからもう一度だけ考えておいて欲しい。 おれと行くことを」
それだけ言うとシャンクスは海に背を向けざくざくと砂浜に音を立て帰って行くのだった。
翌日二人はまたいつもの場所で逢瀬を交わしていた。 しかし彼女は普段よりも幾分か静かな様子でまた日も高いのに今日はもう帰ると言い出した。
「待ってくれ」
「痛いよシャンクス」
「答えをきかせてほしい」
人魚は身を翻しシャンクスへと向き直るとどこから取り出したのか一粒の真珠を彼に差し出した。
「これが私の答え」
「真珠?」
受け取ったシャンクスは異様な美しさを放つそれを訝しげに見つめる。
「……やっぱり着いては行けない。 だけどシャンクスのことは私も本当に好きだからせめて、 わたしの『特別』 を贈ろうと思ったの。 これがどうかあなたを守りますように」
今度こそ人魚は海へと身を投げあっという間にスイスイと遠くへ行ってしまった。
「こんなもん貰ったって本人がいねェんじゃ何にもならねェのになア」
いつもの岩陰からは離れ船が見える砂浜でゴロリと寝そべる。 シャンクスはその真珠をどうしていいかわからす空にかざして見つめるばかりだった。
そこへざりざりと砂を踏みしめる音が響く。シャンクスの視界に影をつくったその男はべン・べックマン、プレイボーイと名高い副船長であった。
「なにしてるかと見に来てみりゃ真珠か。 ここらじゃ船乗りの御守りに贈られるもんだって聞いたがまさか例の人魚の嬢ちゃんからのもらいもんか?」
「あァ。 さっきあいつからもらった」
「なら随分な珍品かもしれねェな。 その宝石の別名はな――
『人魚の涙』
日く、 人魚が愛しい者を想って流した涙が宝石となるのだとか。
シャンクスは思う。
これが本当におまえの涙だってンならそんなもんおれはいらねェ。
その日彼はただじっとりと翌朝が来るのを待っていた。
翌朝、 彼の元に再び人魚はやってきた。水中からそっと顔を覗かせた人魚は少し気まずそうにゆっくりと近づいてくる。 しかしシャンクスはじゃぶじゃぶと海に分け入って戸惑う彼女を抱きすくめた。
「あのなァおれが欲しいのはおまえ自身なんだ。おまえと共に旅をしたい。どんな海にだって連れていく。 お前が自由に泳げなくなったっておれたち人間にゃ船ってモンがある。どこへでも自由に行こうじゃねェか! おれはおまえの涙も加護もいらねェ。分かってンだろ? 笑い声をきかせてくれよおれの隣でさ」
彼女を逃がすまいとキツく抱きしめた腕の中でそれがふるりと震えるのがわかった。
「なァ泣くなよ。 おれと一緒に来い。 もういいだろう?」
涙をぼろぼろ零しながら人魚は笑う。 それが人魚の出した答えだった。