ひやりと冷たい風に目が覚めた。布団を引き寄せて丸くなってみたもののそよそよと吹き込む夜風に身体は冷える一方だった。
「昨日閉めたはずなのに」
今度こそきちんと隙間なく窓を閉めて、さてもう一度眠ろうかとベッドに乗り上げた次の瞬間。身体がふわりと浮かんだ。長い腕に絡めとられたわたしの体は彼の広い胸に抱きかかえられていた。
「ベックさん?」
呼びかけてみるが彼の返事はなかった。
「今夜はもう来ないものと思っていましたよ」
日中から忙しそうに書類とにらめっこしていたのを思い起こす。彼はなおも答えずに腕に込める力を強くするだけだった。
「副船長殿、お顔を見せてくださいませんか」
わざとらしく頼み込むような言葉を使ってみると今度は頬ずりされて、けれどそれきりまただんまり。
「ねェ今夜は一緒にって約束を破ってわたしをひとりぼっちにしたのはベックさんですよね?この可哀そうな彼女に何か言うべきことがあると思わない?」
あァまた嫌味な言い方になってしまった。寂しかったんだから黙ってないで声くらいきかせてほしい。素直にそう言えたらどんなに良かったか。ひそかに反省しつつ彼の出方を伺っていればようやく口を開く気配がした。
「悪かった」
ようやく何か言ったかと思えばたった一言喋ってまた彼は静かになってしまった。流石にむっとしてわたしは彼に催促することにした。
「ほかには?」
「愛してる。愛してるんだ」
「……ふーん。ベックさんも寂しかった?」
「あァ」
淡々と告げられた愛の言葉に妙な感覚を覚える。いつだって愛を伝えてくれる人だけど今日は今まで聞いたどの言葉よりも弱弱しかった。
こんな風に縋りつくように愛を唱えるなんてこの人にしては珍しい。平凡なわたしからすれば嫌味なくらい常に自信たっぷりで実際それに見合うだけの実力をもってこの船を支えているかっこいい人。弱気な姿なんて滅多におめにかかれない。結局、今夜の約束を破られたことなんてどうでもよくなってしまって、しおらしい彼をどうしてあげたらいいのかそれだけで頭がいっぱいになっていく。
「じゃあいまはもう寂しくない?わたしに会えて満足した?」
「……ん」
「嘘つかないでください。まだ寂しいんでしょ。言ってください。寂しいって」
「わかるのか」
意外だとでも言いたげなその口調は普段の彼らしくない子供っぽいものだった。彼の方がわたしより何倍も経験豊富だなんてことわかっている。けれど、きっと好きな人を思って寂しい気持ちになった経験なら彼よりもわたしの方が経験豊富に違いない。片思いをしていたころから彼が夜の街へ向かうのを何度見送ってきたことか。付き合ってからだって、まだ他に仕事があるからなんて約束を反故にされて何度ひとりぼっちの夜を過ごしたことか。
「ねェ、言ってよ」
でも寂しさで萎びたわたしの心をを癒すのもいつだって彼だった。朝帰りの彼におかえりと告げれば律儀にただいまと返してくれたし、買出し中なんかは知り合いらしい様子の娼婦に声をかけられてもわたしを優先してくれた。付き合ってからも、寂しいと言えずに我慢ばかりしていたわたしに彼はすぐに気づいてくれた。そのおかげで彼に寂しいと伝えるのも随分うまくなったと思う。
だからわたしも同じようにしてあげたかった。わたしにばっかり言わせているけれど彼だってきっと寂しいはずだ。わたしばっかり寂しいなんてそんなのずるい。
じっと彼の言葉を待っていれば、観念したのか低い声がようやく聞こえてきた。
「……さびしくて死にそうだ」
「さびしんぼさん、なんでそんなに寂しいかわかってますか?」
「徹夜続きで随分とお嬢さんに触れていなかったから……」
「それもそうですけど。でも多分、触れなかったからだけじゃないですよ。やっぱりわかってなかったんですね」
「おれの自覚していない原因があると?」
「簡単ですよ。ベックマンさんも意外と可愛らしいところがあるんですね」
そうこれはとても簡単なことだ。こんな暗い部屋で後ろから抱きついてぼそぼそお喋りするだけじゃ足りないに決まっている。だって、
「わたしと最後に顔見てお喋りしたのがいつだったか思い出せますか?」
「あァ?そんなの……?」
途端、視界がぐるりと回った。今夜の約束だって部屋のドアに差し込まれた走り書きのメモだけを頼りに待っていたのに結局彼がやってきたのは深夜だった。
「本当にすまん」
「ふふ、いいんですよ。可愛いあなたに会えたんだから儲けもんです。それで今度こそ寂しさは埋まりそうですか?」
「……」
しばらく見つめあってからふ、と笑うとまだ足りねェようだと他人事のように教えてくれた。
「それじゃあ、手を握って抱きしめて。沢山大好きって言って、いっぱいくっついて、二人で寝坊してゆっくりお昼を食べる。なんてプランはいかがですか?」
わたしが寂しいと言った日にはいつもそうやって彼が沢山の愛情をくれる。経験不足のわたしには彼の真似をするしかできないけれど。でもその効果はわたしが身をもって証明しているとも言えるのでなんら心配はないはずだ。
「ハハ、そうだな。そいつはとびきりの名案だ」
ようやく彼の笑顔を見せてくれた彼に、わたしからの愛をこめてキスを送った。
寂しくて愛
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