朝が来るとベックマンは決まって一服するために甲板へと向かう。わたしはそんな彼をいつもベッドの中から見送っていた。二度寝したい欲求と彼が戻るのを起きて迎えたいなんて甘えた気持ちがまどろむ頭の中を行ったり来たりする。
「おきなくちゃ……」
ほどけそうになる思考をどうにかより合わせて起き上がるとベッドの足元に置かれたかごにベックのものと合わせて昨晩脱ぎ散らかしたはずのわたしの服が入っているのが見えた。
「あれは洗濯するとして、今日はなに着ようかなァ」
彼と夜を共にするようになってから次第にこの部屋に私物をおくことに抵抗がなくなって、いまやベックの部屋だというのにわたしの服のほとんどがここにある。とりあえず彼のおいていったマントにくるまってタンスの前まで歩く。どれを着ようかと考えているとドアの開く音がした。
「おかえりベック。早速だけどどっちがいいと思う?」
振り返ると煙草のにおいを漂わせたベックマンが後ろ手に扉を閉めるところだった。彼の視線がわたしの頭のてっぺんからつま先までじっとりと確かめるように動いていく。
「ベック?」
「おまえさんが随分とイイ恰好をしているから誘惑されていたんだ」
「ゆ、誘惑なんて! もうからかわないで」
𠮟り飛ばしてみたけれど彼は楽しそうに喉を鳴らして笑うばかり。どうやら本当にご機嫌らしい。彼は歩み寄ってくるとわたしの手元に視線を落として迷いなく服を取り出した。
「今日はこれなんてどうだ」
差し出されたそれは普段の船上生活ではあまり着る機会のないロングスカートだった。
「うーん可愛いけど動きにくいんだよねこれ」
「買い出しなら昨日のうちに済ませたし今日の予定はデートだけだろう。……駄目か?」
覗き込んできた彼が甘えるように頬を摺り寄せてくる。
「ベックがちゃんとエスコートしてくれるならいいよ」
「あァもちろんそのつもりだ」
そんな甘いやりとりをしたのはつい数時間前のことだった。
今朝彼が選んでくれた服を着てヘアメイクも今日はすこしだけ頑張ったつもり。けれど、すっかりデート気分で島に降り立ったそんなわたしの横にベックマンはいなかった。
「埋め合わせは必ずする」
そう言って眉間にしわ寄せて申し訳なさそうにする彼の右手には首根っこを掴まれ暢気に笑っているお頭がいる。その形のいい頭にはすでにたんこぶが二段積みあがっていた。
「あァー……うん、わかった。いいよ大丈夫」
理由なんて今更聞くまでもない。
「それじゃあまたあとでね」
デートはとりやめになったけれど折角着飾ったからには出かけないともったいない。ショッピングを楽しむべくわたしは一人、街へと繰り出すことにした。
空は快晴。気持ちを切り替えて最初に向かったのは昨日買い出しに出た時から気になっていた店だった。ドアをくぐれば流行のデザインらしい服を着こなしたマネキンが出迎えてくれる。店の外からも見えていたそれは近くで見てもやっぱり可愛い、がしかし隣に同じデザインの色違いが数種類置かれていることに気付いてしまえば即断即決とはいかない。店員さんに勧められるまま何着も試着してみたけれど結局はこれと決めることができずとうとうわたしは「また来ます」と言い置いて店を出ることにした。それからカフェに立ち寄り休憩をはさみつつ、その後も日が暮れるまで更に数軒の店を巡り歩いてみたがなかなかピンとくるものに出会えない。
「ベックがいればなァ」
いつも通りに彼が隣にいたなら直接彼の好みを聞くこともできたし、客観的に見てどれがわたしに似合うのか意見を求めることもできたのに。こうなれば埋め合わせにトータルコーディネートでもお願いしてみようかなんて考えつつ自室のベッドに横たわる。
船に戻ってすぐに彼の気配を探したけれどどうやら今日はこってりお頭を絞っているようだった。行き会ったクルーたちに聞いても書類仕事とお頭の見張りで忙しそうだったぜとある意味わかりきっていた答えしか返ってこない。
いつになるとも知れない埋め合わせに想いを馳せつつ化粧を落としていく時間はすこしだけ寂しくて、このあと彼に会いに行こうかなんて考えが頭をよぎる。けれど、それはそれでなんだか腹立たしいような悔しいような気がした。結局わたしが彼の部屋を訪ねることはなく、この日はただふてくされたまま寂しいひとり寝を選ぶことしかできなかった。
「埋め合わせはベックのトータルコーディネートでお願いね」
数日ぶりに顔を合わせたベックマンが申し訳なさそうに口を開くその前にわたしは先手を打っておねだりをした。
「せめて謝らせてくれよ」
苦笑するベックの目の下にはいつにもましてくっきりと深い隈ができていた。
「わたしはお疲れの恋人に鞭打つような酷い女じゃないからね」
「お嬢さんにはかなわねェ。まったくイイ女だよおまえは」
ベックマンはわたしを抱き寄せるとそのままじゃれるように鼻先にキスをする。それを真似て彼にキスをしようと背伸びすれば今度は声を潜めて「くちびるに、」と彼にねだられた。
疲労のせいかすっかり甘えたな様子にわたしはその日何度も忍び笑いをすることになる。そしてわたしが笑っていることに気づくたび、彼は一層強く抱きしめるのだった。
さて、船は再び航海に戻りそして今また新たな島へ上陸しようとしている。交易の盛んな島らしくありとあらゆる店が所狭しと立ち並んでいた。
「これで最後、と」
頼まれていた買い出しを済ませ船倉にしまい込むとようやく自由時間が訪れる。まだ昼を少し過ぎたくらいだろうか。島で食べてもいいけれど今なら食堂にもまだなにか置いてあるかもしれない。本日のお昼ごはんを考えつつ倉庫のドアに手を伸ばすと向こうからドアが開いた。
「ここにいたか」
「ベック! もしかして探してたの?」
「埋め合わせを今日こそさせてもらおうと思って探していた」
そう答えるとベックマンはわたしの手をとって歩き始めた。向かう先はどうやら彼の部屋らしい。部屋に着くなり彼は手提げ袋を五つほど差し出した。
「これって! 開けてもいい?」
ショッパーに記されたロゴにはどれも見覚えがある。全てわたしが気に入っているブランドのものだ。
「ありがとベック! ……って待って! こんなにもらっちゃっていいの?」
つい浮かれてはしゃいでしまったけれど明らかにトータルコーディネートどころか三、四日分くらいはありそうな量だ。埋め合わせとはいえここまでもらってしまうのは申し訳ないと思って彼に尋ねた。
「気に入ったなら全部お嬢さんのタンスにいれてやってくれ。趣味に合わなけりゃ別のをまた用意するが」
「もうわかった。そこまで言うならありがたく全部もらっておくね」
「あァ、そうしてくれるとありがたい」
彼から手渡された大量の服をわざわざ自室まで持って帰ることもないかと思ってそのまま彼の部屋に置いた私専用収納にしまう。最後の一着まですべてを収めるとタンスにはこれまで以上に可愛いが敷き詰められていて当分はこれを見るたびに心が躍りそうな仕上がりだった。
「よし、と。じゃあわたしはこれで」
全てしまい終えたので部屋を出ようとドアに向かうはずだった。けれどベックマンがわたしを呼び止めた。
「お嬢さんなにか忘れているんじゃねェか」
首をかしげるわたしを見てベックマンは何が面白いのか喉を鳴らして笑っていた。
「お嬢さんがここに来た本来の目的を忘れちゃいねェか?」
「目的って言われても。ベックに呼ばれてきただけで」
「おれがなんて言ったか思い出してみな」
「……埋め合わせでしょ? でもそれはもらって全部しまったし」
「おいおいお嬢さん、なんの埋め合わせだったかもう忘れちまったのか?」
とびきりのプレゼントにすっかり満足していたけれど彼にそう言われてようやく事の始まりを思い出す。
「デートの埋め合わせ? でも、だから、服をもらって」
「誰が埋め合わせは服だけ、なんて言った?」
「へ?」
「今日こそおれにエスコートされちゃくれねェか?」
差し出されたのは彼の手のひら。
「いいの?」
思わず数分前と同じような問いかけを繰り返してしまう。
「いいもなにもさっきのはオマケみたいなもんで、元からこっちが本命のつもりなんだが。お嬢さんは服だけで満足だったか?」
悪戯にウインクして見せる彼があんまりにもずるいことを言うのでわたしは彼の手をとって目一杯の我儘を付け足す。
「ぜんぜん足りない! だから今日も明日も明後日も、出航するまで全部の時間をわたしがもらう!」
そんなわたしの言葉を聞いてベックマンが嬉しそうに目を細める。つないでいた手を引き寄せると彼はそこに口づけて「おおせのままに」と微笑んだ。
もらえるなら全部
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