おかえり#3

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おかえり#3

そんなベックマンのもとに女が駆け寄ってくる。先ほどまで輪の中で軽やかに笑っていた例の客人だった。
「ベックさんもうお酒はいいんですか?」
 酒で上気した頬をぱたぱたと手であおぎながら潤んだ瞳で見上げてくる。
「今日は静かに飲みたい気分でな。部屋で呑みなおそうかと思う。お嬢さんこそ抜けてきちまってどうした? 向こうにいなくていいのか?」
 ベックマンの視線は宴の中心にいる赤髪とその隣のクルーに注がれたままだ。
「……今夜はわたしも静かに過ごしたい気分みたいです」
「みたい、か」
「今夜はベックさんのお部屋でゆっくりお喋りしたいなァなんて。やっぱり今夜もはぐらかされちゃうのかしら?」
 しなだれかかるようにして距離を詰めてきた女の髪を軽く梳いてベックマンは笑った。
「っはは、いいやそこまで言われて断るような野暮天じゃねェつもりだ。いいさ後でおれの部屋に来てくれ。先に行って待ってるからな」
「ほんとですか嬉しい! 支度をしたらわたしもすぐ行きます」
 ベックマンが船室へ向かったのを見て女は笑みを浮かべた。やっとこの時がきたのだと。乗船してから何度も袖にされていたがようやく副船長室へ入れてもらえる、これでほしかった情報を得られる。女は浮足立って与えられた客室に戻るとすぐさま電伝虫へと手をのばした。
「もしもし、わたしだけど。ようやく副船長室に入れそうだから次の定時連絡のときにでも情報を渡せそうよ」
『そいつはいい知らせだ。しかし日付が変わる頃に連絡をよこす約束だろうが。今夜はすこし早いんじゃねェか?』
「副船長にこれからお呼ばれしてるのよ。いい情報がつかめるかもしれないから期待してていいわよ。それから先に一つ情報があるの。偶然だけど赤髪の弱点になりそうなものが掴めてね、クルーのひとりと、」
 付き合っているらしいのよと続けようとした女の言葉は突然遮られた。
 
「ヘェ、そいつは面白そうだ。是非ご教授願いたい」
 背後から伸びてきた無骨な手が女の手の甲に重なる。室内に響く『おい! どうした! はやく赤髪の弱点を』とがなり立てていた声は強制的に切断された。電伝虫が目を閉じ、静まり返った部屋でベックマンは言葉を続ける。
「お嬢さん。いま何て言おうとしていたんだ? ……あァだんまりとは賢くねェなァ」
 喉を震わせて低く笑うと煙草に火をつける。使い終えたマッチはベックマンの手のひらに握り込まれてじゅっと小さく鳴いて掻き消えた。
「わたし、わたしは……何も……!」
「ほう。どうやら悪さをするのは口だけじゃねェらしいなァ」
 ひねり上げられた手からナイフが零れ落ちる。
 部屋は再び静寂に包まれる。怯える女を前に副船長は淡々と仕事をこなすだけだった。
「今夜はおれの部屋でゆっくりしたいだったか? お望みどおりだお嬢さん、沢山おしゃべりしてくれや」
 
 ベックマンが宴を抜けたのに気付いたのはいくらか酔いが回ってきたころだった。船べりで煙を吐き出すその姿を視界の端に認めて絵になる人だななんて思っていると丁度あの女が彼に駆け寄っていくところだった。
「またあの女……」
「今夜あたりぱっくり食っちまうつもりかもなァ」
 呑気にそんなことを言うお頭を恨みがましく見つめるとお頭はやれやれと肩をすくめて見せた。
「気にすんなよ。どうせあのお嬢さんは船を降りるさ」
「どうだか」
「なあに心配いらねェよ。おまえとあのお嬢さんはまるで違うからな」
 あのお嬢さんに向ける視線とこいつに向ける視線とじゃ天地ほどの差があるんだがまあその意味を彼女に教えてやるのはおれの役目じゃないんだろうとシャンクスは言葉を飲み込んだ。
「まーまー自信持てって。おまえはいい女だよ」
「励まし方が雑すぎます」
「そーか?」
「そうです」
 その後もくだらないやりとりをしながら酒を呑み続けた。そして周りの男たちがひとりふたりと瓶を抱えたまま眠りについたのを後目に彼女は船べりへと歩み寄る。
 ここに副船長がもたれかかっていたっけ。そっと木目を撫でてみるが温もりなんてあるはずもない。ただ冷たくざらついた感触が伝わってくるだけだった。
「今夜あたりぱっくり……」
 副船長は本当に今夜こそあの女と夜を過ごすのだろうか。お頭の声とあの女の後ろ姿とが頭の中をぐるぐると巡る。
「なにもできなかったや」
 結局アピールらしいこともなにもできず、静かにこの恋はなかったものになっていく。ただ悲しかった。誰も何も悪くない。強いて言うなら意気地なしのわたしが全部悪いのだろう。もてあましたどこへも向けようのない感情が瞳からぽろり零れだしていく。
「あれ、なんでこんな」
 泣きたいわけじゃないのに、涙が止まらない。
「馬鹿だなァおまえもあいつも」
 背後から聞こえたお頭の声。片腕でくるりと振り向かされてそっと手のひらが頬に触れかかったときぴたりと動きが止まった。
 女の涙を拭おうとしたシャンクスの手は横入りしてきた手に掴んで止められてしまったのだ。ふいに香ったのは馴染み深い煙のにおい。
「そいつはアンタでも譲れねェよ」
 唸るような声だった。
「カタはついたのか?」
 手を引っ込めるとシャンクスは尋ねる。
「ようやくな。あとはお頭、あんたの仕事だけだぜ」
「じゃちょっくら最後にひとつ挨拶でもしてくるかァ」
「そりゃさぞ喜ぶだろうよ」
 からりと楽しげに笑う二人の男。
「でナマエのことは任せていいんだな?」
「もちろんだ」
「んじゃなおふたりさん」
 片手を振ってシャンクスは船室へと消えていく。
 目の前で繰り広げられていたやりとりに目を白黒させているとふいに涙を拭われた。
「え」
「もう泣くな」
 ベックマンが拭うさきから涙がこぼれおちていく。
「なに。なんで副船長」
「あの女とはなにもない」
「はい?」
「おまえさんのことだ要らねぇ勘違いをして泣いているんじゃねェかと思ったんだが」
「勘違い?」
「そうだな。例えばおれがあの女と寝た、とか」
「違うんですか」
「あァ違うな」
「でも付き合っているんじゃ」
「あァそこからか。付き合ってもいない。あんな女」
 吐き捨てるようにあんな女と言ってベックマンは深く溜息をつく。
「……そう、なんですか」
 女の涙はとまっていたがなおもベックマンの指は彼女の頬を撫でる。
「あァ。他に聞きたいことは?」
「え?」
「いまなら何でも答えてやれるが。もういいのか」
「……いいです」
 本当はどうしてと聞きたかった。どうして涙を拭うのか、どうしてまだ触れていてくれるのか。どうしてそんな風に見つめてくれるのか。けれどこの予想が違うと一蹴されてしまったらと思うと、やはり恋に臆病な女は何も言えなかった。
「ほんとうに?」
「……はい」
「なら今度はおれからだ。お頭と付き合っているのか」
「へ?」
「宿から二人で出てくるところを見かけてな。最近妙に距離も近かっただろ。それにいまも」
「ちがいますよ! あの日はちょっとのみすぎて。それに仲間として好きで尊敬もしてますけどそれだけです。恋愛感情とかそんなんじゃ」
「まあそんなことだろうと思ったが、安心した」
 呆れたように紫煙をはきだしてベックマンは笑う。
「わかってたなら聞く必要ないじゃないですか」
「それでもおまえさんの口から確認したかったんだよ」
 小さくにじり寄るように一歩、ベックマンが彼女へ近づく。
「な、なんですか」
「なァ、おまえはおれのことが好きだろう?」
「は、え」
「わかっていたさ。だけどな、おれが陸で女と過ごして帰ってきてもいつもナマエは涼しい顔でおかえりなんて笑って迎えるだろう? だから、いつかおれと同じだけ嫉妬に焦がれるくらい、おちてくれりゃあいいと思っていた。おれは重い男でなァ、おまえさんを捕まえるのはおれと同じだけの愛を向けてくれたときだけにしようって決めていたのさ。そうでもしなけりゃおまえさんが可哀そうで」
「かわいそうってそんな」
「おれは愛した女を手放してやれねェ自信がある。そんな男に捕まえられちゃあ可哀そうってもんだろう?」
 ベックマンは自嘲するように紫煙を吐き出すと言葉を続ける。
「あの女が船に乗ると決まったときいいきっかけになるかと思ったんだが、おまえはお頭とすっかり仲良くなっちまっておれをあまり見なくなった」
「それは、だって。見たくなかったんですあの女といる副船長を。お頭はそれに気づいてくれてわたしのヤケ酒に付き合ってくれてたでけで……」
「あァ咎めやしねェよ、身から出た錆だ。嫉妬させるどころかこんなに泣かせちまうなんてな。悪かった」
「あ、あやまらないでください」
「だからもうあれこれ考えるのはやめにする。受け入れてくれるなら、おれはもうナマエを離してやれなくなる。それでもまだナマエはおれのことが好きだと言ってくれるか?」
 先が短くなった煙草を捨てるとベックマンは両手を彼女の頬に添えた。大きな手のひらに包まれた頬が熱くなっていくのを自覚するのにそう時間はかからなかった。
「……いいですよ、言っても。副船長が私を好きだと言ってくれるのなら」
「可愛らしい交換条件だな」
 クッと喉を鳴らして笑うとベックマンは彼女をまっすぐ見つめて口を開いた。
「好きだ、ナマエ」
「わたしも好きです」
 微笑んだベックマンの顔がそっと彼女に近づく。
「あ、」
「駄目、か?」
 鼻がこすれ合うほどの近さでベックマンは窺う。
「……だめじゃない、です」
 彼女の返事をきいてベックマンはフ、と笑みをこぼす。
「いい子だ。さ目を閉じて」
 そうして耳に届く彼の言葉にいざなわれるようにして目をつむる。ややあって降ってきた口づけはたった一度きり優しく触れたかと思うと次は食むようにそれでいて尽くすように、目いっぱいの口づけをベックマンは彼女に与えた。
「ん、は……」
 キスとキスのあいだに吐息が混ざっていく。
「まって、ふくせんちょ」
「名前を呼べ」
「んん、ベックさ、もう」
 名前を呼ばれてようやく止んだキスの雨。ぼうっと見上げた先の彼ははにかんで謝った。
「すまん。がっついちまって」
「いえ! そのええと」
 続ける言葉が見つからず言葉に詰まった彼女の唇を彼はもう一度ふさぐと抱きしめた。
「舞い上がっちまってどうにも駄目だ。すまねェがもう少しだけこのままでいさせてくれ」
「いいですよ」
 そう言うと彼女もベックマンに抱き着く。
 夜明けが近づいてくるまで二人はただ抱きしめ合って静かに言葉を交わし続けた。眩しい太陽が上がるのを二人そろって眺めて、今日は昼寝が必要だななんてくだらない話をする。
「ほんとに夢じゃないんだ……」
 ぽつりとつぶやいた彼女の声をベックマンが笑い飛ばす。
「あァもう離れられないと思っていてくれ」
「離れたりなんかしませんよ!」
「ほー! それなら安心だな! よかったなァベック!」
 横入りに会話に入ってきたのはシャンクスだった。ニカリと笑って
「じゃ、今日も宴だな!」
 と言い放つと酒をとりに食糧庫へと走りだす。
 今回ばかりは止められませんねとベックマンを見上げると
「……やっぱりお頭に対しては甘ェんじゃねェか?」
 とむっとした様子の彼が視界に飛び込んできた。
 あまりにも可愛い彼の嫉妬に女クルーは忍び笑いをしたのだった。

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