首に煙

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首に煙


 
 例えばそれは彼女をこの腕に抱いて目覚めた日、穏やかな添い寝から目覚めるとき。徹夜明けの朝やときには嵐や戦闘を乗り越えて迎える朝。朝、彼女の隣で迎えることがベックマンの日常だった。
「おはようベック」
 今日も彼女がベックマンの胸元からひょこと顔を出すとその愛らしい唇が朝を告げた。
「ん、おはよう」
 ふわふわと微笑む彼女にすり寄ってそのこめかみに軽いキスをする。くすぐったいと頭を抑えかけた手をとり更にそこにも口づける。
「どうしたのベック」
「ただの愛情表現だ」
 ベックマンがそう嘯くのを聞いて彼女はまた笑う。
「じゃあ仕方ないわね」
「だろう?」
 機嫌をよくしたベックマンは朝から彼女に山盛りいっぱいキスの雨を降らせた。痕はつけないでよねと釘をさす彼女の声に反抗するように彼女の柔い皮膚を甘噛みしては舐めてを繰り返す。次第に彼女が絆されていくのは計算の内。朝だというのに忍び寄る淫靡な気配を、しかしベックマンはあえて自分から振り払ってみせた。
「これでしまいだ。ごちそうさん」
 火照り始めていた身体をもてあまして瞳をほんのりと潤ませる彼女はまさに食べ頃と見えたがまだ今日は始まったばかり。折角だから夜まで寝かせて一番熟しきった頃に食べさせてもらおうかと密かに舌なめずりする悪い男。さながら彼女はそんな男に捕まってしまった可哀そうな赤ずきんだった。
「~~~もう! ベックの馬鹿!」
 彼女が絞り出すように叫ぶとベックマンは呵々と笑う。彼女と迎える朝はいつだって幸福に満ちていた。
 しかしそうして幸福に始まった甘やかな一日も太陽が南中するころにはすっかり海賊の日常にとって代わってしまうのが常だった。船内の仕事を割り振りそれぞれの進捗具合を監督する。お頭が自由を絵にかいたような人物なだけにこの船の運営は副船長であるベックマンの手腕に任されるところが大きい。責任も裁量も大きく何かと指示を仰がれる立場にある。つまり、日中彼女と乳繰り合っている暇などないようなもので、むさい仲間を相手に指示を出しお頭に叱責の声をあげているうちに時間が過ぎていくばかり。
 彼女はと言えば割り振られた仕事に対して、海賊らしくもなく、真面目に取り組んでばかりいるので自然と日中に彼女と触れ合う時間は減っていく一方だった。
 これはそんなある日の出来事だった。
 ひとつ前に立ち寄った島で新たな仲間を迎えた赤髪海賊団は飲めや歌えやのバカ騒ぎに興じていた。こんな日はベックマンも副船長の看板を下ろし一船員として仲間との酒宴を楽しむことにしている。それでも厄介ごとはベックマンをつかんで離してくれないのだが。
「副船長!」
 呼ばれた声にどうしたと応じるとそのクルーが要領の得ない説明を始める。いつも通りと言えばいつも通りだった。酒の席を後にして状況把握に向かう。見ればどうやら以前の戦闘時に見落としたらしく船体に小さな穴が開きかけているのだった。そこで応急処置だけ軽く済ませてから酔いどれの船大工を呼び即席で穴をふさぐことにした。そうして資材の準備だそっちを抑えとけだのと最後まで付き合ううちに宴はすっかり終わりに近づいていた。
 甲板に戻ると既に寝落ちたのかそこらじゅうに男たちが転がっている。なかには酒瓶を抱えて眠っているものまでいた。
「ナマエ、まだいたのか」
 普段ならいいところで部屋に引き上げているはずの彼女がまだ甲板でお頭たちと酒を煽っているところを見つけて思わずベックマンは声をかけた。隣に腰かけて顔のぞき込むと彼女が十分に酔っぱらっているのがわかる。
「それくらいにしておけ。もう十分だろう」
 グラスを取り上げるようとしたがなぜか彼女が手放そうとしない。
「こら酔っぱらいめ」
 彼女の手のひらに指を這わせ優しく撫でてやるとようやくグラスからその手が離れた。かと思いきや今度はその手がベックマンの腕を掴んできた。
「どういう風の吹き回しだ?」
 普段、彼女からはあまり触れてこない。それこそベッドの上でようやっと触れてくる程度だった。みんなのいるまえでは恥ずかしいのだといつもベックマンからのスキンシップをすげなく扱う彼女がなんとおもむろにしなだれかかってくるではないか。これにはベックマンも目を丸くした。
「ベックが遅いから悪いんだよ。そのうちわたしが誰かに取られちゃっても知らないからね……」
 不穏な台詞を言い残すとそれきり彼女は寝息を立て始める。
「なんだってんだ」
 やれやれと溜息をついてベックマンは彼女を抱き上げる。一連のやりとりを見ていたシャンクスがニヤニヤと笑いかけてくる。
「おまえのことだから知っているだろうが、あの最近入ってきた奴と随分仲がいいらしいぞそいつ。さっきまでここで一緒に呑んでたんだ、ほら」
 シャンクスが促す視線の先には例の新入りと肩を組んでまだ元気に騒いでいるヤソップたちの姿があった。
「ありゃあしっかりおまえの姫さん狙いの目だったな間違いない」
 うんうんと一人頷いてみせるシャンクスを小突いてやろうにもベックマンの両腕は彼女に独占されている。舌打ちをするベックマンにシャンクスはなおも続ける。
「あいつの方がお前より年も近いしなァ」
 人が少なからず気にしているところをずけずけと言ってのける。
「あんまり放っておくとしまいにゃ本当に取られちまうかもな! 気をつけろよ色男」
 ダハハと大口を開けて笑う声がいまのベックマンにはただ憎たらしく聞こえた。
「あんたも酒はその辺にしとけよ。明日二日酔いで死んでても薬は出さねぇってさっきホンゴウが言ってたぞ」
「船医が怖くて酒が呑めるかァ!」
 叫ぶとシャンクスはまたひと口がぶりと杯を傾ける。口端からたらりと酒が流れるのも気にせず更にぐびぐびと飲む様子から明日の惨状を予想しベックマンは溜息をついて身を翻すのだった。
 両腕の中ですうすう寝息を立てていた彼女をそっとベッドに横たえ毛布を掛けてやる。身じろぎして寝返りをうってから彼女の腕がなにかを探すように緩慢に動くのがみえた。その愛らしい動きにベックマンは静かに笑う。恐らく先ほどまでずっと握っていたベックマンの腕を無意識に探しているのだろう。彼女が眉間に皺を寄せて唸る。
「べ、く……」
 ベックマンはベッドの近くに椅子を持ってくるとグラスに酒を注いだ。今日は宴もそこそこに抜けねばならなかった。その上戻ってみれば彼女は珍しく酔っぱらっているし、男の影をちらつかせるようなことまで。最後にはシャンクスにもけしかけられるわで散々だったと振り返ってまた溜息をつく。今日一日で何度溜息をついたことやら。しかし彼女の言葉がやはり引っかかってしまう。どうしたものかと頭を捻るうちに夜は更けていった。
 翌朝、甲板はやはり大勢が野垂れ死にでもしたのかという惨状だった。若手も古株もみな等しくゾンビさながらの顔色の悪さで這うようにして船上を移動している。呆れたものだ。それを世話して回るのは船医のホンゴウと何人かの酒豪たち、そしてその中には彼女の姿もあった。酔ってあれだけ無防備な姿を晒していたというのに彼女はどうやら翌日にあまり影響が出ないらしく忙しなく駆け回っては水のはいった瓶を渡したり二日酔いにきくスープを渡したりと介抱に専念している。
「ちょっと大丈夫?」
「え、あ? ナマエさん? うぷ、すみません」
 彼女がひとりの男の隣にしゃがみこんでその背をさすってやっている。ああ、あれは例の彼女に言い寄っているとかいう男かとベックマンは一瞥した。あんな姿をみて女が惚れるものか。それとも案外と母性をくすぐられるとでも言いだすつもりなのだろうか。
 ベックマンはまだ彼女に昨晩の言葉の真意を問いかねていた。今朝の支度中にでもすぐに聞けばよかったものを。一度タイミングを逃してしまうとつい言い訳めいた理由をつけてそれを先延ばしにしてしまっていた。恋とは厄介なものだ。聡明な副船長ベン・ベックマンをしてこうも悩ませるのだから。
 死屍累々といった様相を呈していた一同も流石に昼を過ぎれば幾分か回復してくる。あちこちからげらげらと笑う声が聞こえてくるようになってきていた。
 「ようやく落ち着いたねェ」
「あァ」
「……ベック?」
 心ここにあらずといった返事をするベックマンを不審に思ってナマエは隣に立つ彼を見上げる。
「ねえほんとにわたしが取られちゃうかもって思ったりしてる?」
 ちょっとした悪戯のつもりでナマエはベックマンにそんな質問を投げかけた。
「……」
「え! まさか図星?」
「はァ、こちとらおまえが思ってるほど余裕のある男じゃないんでなァ」
 そう言うとベックマンは彼女の肩を抱き寄せる。彼はそのまま彼女の肩口に頭を埋めると彼女の耳元に口を寄せる。
「そう簡単に他所について行けないように首輪でもつけておきたいくらいだ」
「そんなのはじめてきいた」
「言って下手に逃げられちゃあ元も子もねェからなァ」
 ベックマンは口角をあげて答える。
「じゃ、じゃああなんで今言ったの」
「取られるかもなんて挑発的な台詞にはこれくらいの愛情表現してやった方が効果的かと思ったが違うのか」
 ぼそぼそと敢えて抑えた声。ベックマンの言葉を拾おうと自然、彼女も息をひそめて彼の声に集中することになる。
「ちがわない、かも」
 ともすればくすぐったくも感じる耳元からの囁き声に彼女はどうにか返事をする。彼女の紅潮していく頬を横目にベックマンは吐息交じりに話す。
「ふ、なら今日からは少し首輪をつけてみるか?」
「……っなにそれ」
 思わず彼女が声を上ずらせたのをせせら笑うと彼は急に耳元から離れていく。
「どんな想像したんだ。すけべ」
「それはベックが!」
 彼女の小さな拳を受け止めるとベックマンはある提案をひとつした。
「そんなことでいいの? っていうかそれ気づけない時もあるかもしれないんだけど。いいの」
「いいさ。おまえさんも海賊だ。何より自由がいいだろう? だからそれくらいで今は十分だ」
 ベックマンは煙草に火をつけると取り込んだ煙を彼女の顔に吹きかける。
「うぇ」
「これからもよろしく頼むぜダーリン」
 この時のベックマンはそれはそれはいい笑顔をしていたという。
 それから数日後のことだった。彼女が日中の仕事に精をだしていると背後から誰かに呼び止められた。
「ナマエさん!」
 それは彼女に心を寄せている若手クルーだった。呼び止められた彼女は持っていた荷物を下ろして振り向く。
「この前は情けないところ見せちまって……」
「あァ気にしないであんなのこの船じゃ日常茶飯事だし」
「でも詫びというかお礼というかしたくておれ!」
 青年が思い切った面持ちで彼女の方を見据えたとき、しかし彼女は何かに気づいた様子できょろきょろと辺りを見回していた。
「あの、ナマエさん?」
「え、ああごめんね。なんだっけ」
 二人がそこで話している間に次第に割って入るように紫煙が流れ込んできて滞留する。煙は優しい海風にのって彼女を呼んでいた。
「ベック!」
 その男の姿を視界にとらえた彼女は手を振って笑いかける。
「いま呼んだでしょ」
「あァ、そうだなァ」
 ベックマンはしたり顔で笑って近づいてくる。勿論彼女のもとにたどり着く前に煙草は握り消して。
「意外とわかるもんだね」
 にこにことベックマンに話しかける彼女とそれに応じる男。
「まだいたのか、何かこいつに用か」
 ベックマンが威圧気味に低く尋ねると青年は口ごもってしまった。
「用がねェならさっさと自分の持ち場に戻れ」
 副船長にそう言われ青年はなすすべなく言われるがままに持ち場へと戻っていく。
「あんまり虐めすぎないでよ。仲間なんだから」
「あァわかってる」
 肩を竦めてみせたベックマンをみてあまり反省していないなと思いつつ彼女は先日の提案もとい約束を思い出していた。
「ベックの煙草の香りがしたら呼ばれたと思って探してっていうからそうしてみたけど」
「簡単だったろ」
「もっと難しいかと思ってたのに」
「ちゃんとこれからもおれが呼んだらいい子でお返事できるよな」
「なんか癪だけど。こんなのでいいのなら全然いいよ」
「おまえさんがお望みならもっと別の首輪をつけてやってもいいが」
 彼女の首をつついて言いのける。彼女は慌てて首を横に振っていらないと示す。
「残念だ。まァそっちはいつかのお楽しみってな」
 ニヤリと笑うベックマンのその目だけがいやに熱っぽいものだから彼女はそう遠くない未来にそれ彼に許してしまうのかもしれないと肩を抱いて震えるのだった。

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