Message in a bottle
思い出と一緒に恋心も捨てる話
私の気持ちを綴った手紙、いわゆるラブレターを今まさに捨てようとしている。渡せなかった手紙は捨てるに捨てられず小瓶に詰めて保管していたのだが思いを寄せて何年目か、そろそろ諦めた方がいいのかもしれないとようやく決心した。この気持ちをスッパリ忘れるために、初めて二人きりで街を歩いたあの日もらった宝物も一緒に小瓶に入れる。私の気持ちと思い出をひとまとめにして全部を瓶ごと海に投げ捨ててやるんだ。真夜中の暗く静かな船室で小瓶に手紙とイヤリングを詰めてかたく栓をする。そして私はそっと部屋を出た。
あの日、てっきりお頭はいつも通り酒場に直行するものと思っていた私の予想は大きく外れ、一緒に街を散策していた。
「だからなんでお頭がいるんですか!?」
「そうわめくなよ。こんな昼間っから男娼に行くわけでもないだろ? ならいいじゃねェか男連れでも……」
そういう問題ではなく!! と叫びたかった、が正直に言うとお頭と二人きりという滅多にないチャンス、浮かれる乙女心がそんな叫びを封殺したのである。
「んで、まずはどこに行くんだ?」
「言っときますけどそんな面白いもんじゃないですよ?」
本当に目的地も何も知らずに着いてきたみたいでそれなのに興味津々ですと顔に書いてある。一体なにが今日のこの人の興味を引いたのか不思議でならない。
「イヤリングをですね新調しようと思ってて。この前の敵船に乗り込んだときどっか落としちゃったみたいなんですよ」
「あーアレか! 赤い石がついてたよな。お前によく似合ってたのに勿体ねえ」
似合ってたなんて、まさかそんな風に見られていたとか知らなかった。というか見ててくれたんただ。これはちょっと嬉しい。
「そんな別に、えっと、まあいいんですよ! だから今回は新しいの買いに行くんですし」
「でもなんか大事なもんだったんじゃないのか。機嫌いい時しか付けなかったろ」
こういう所やっぱりお頭が船長たりえる理由なんだろうなと実感してしまう。誰かの機嫌なんてどこ吹く風でいつだって自分のペースに引きずり込んでは呑めや歌えやの中心にいるのに、なかなかどうしてと妙に感心してしまう。
お頭の指摘通り実際あのイヤリングには少しだけ思い出があった。この大海賊時代に珍しくもない話だが、物心ついた頃には盗みを働くのが当たり前の生活をしていた私が初めて他人から善意と好意とで受け取ったものだった。
「えっとまあその、昔なんですけど初めて人からもらったもので思い出もあるし気に入ってたんです。でもいつまでも思い出に頼ってちゃ駄目だぞってことかもしれないし気持ち切り替えて新しく気に入るもの見つけたいなと思ってて」
小汚い悪ガキと言えど街中を歩く綺麗なお姉さん方に憧れない訳じゃなかった。それを知ってか同じ区画で雨風を凌いでいた少し年上の、兄みたいだった人が私にくれたのだ。多分あれが初恋だったよなぁ……とここまで思い返したところでじわじわと気恥しさが襲ってくる。昔話なんて柄じゃない。
「と、とりあえずお店行ってサクッと買って早く私たちも酒場行きましょ……ってあの、お頭?」
私の手が握られている。
お頭に……お頭に?
「あの、お頭? えっとこの手は?」
「……なぁ新しいイヤリングおれが選んでもいいか?」
戸惑う私を置いてなぜか神妙な雰囲気を醸し始めたお頭はその後も頑として私の言葉に答えずそして無論手も離さずに、目的のアクセサリーショップに辿り着いてしまった。
その後訪れた店で相変わらず妙な雰囲気のお頭に流されるまま見立ててもらっていたのだが私が少し目を離した隙に
「じゃ、行くか。心配はいらない支払いならもう済ませてあるからな、さー酒場行くぞ!!」
とケロッといつも通りのお頭に戻っていた上に支払いも終わっていて私は口を挟む余地なく気づけば酒場でいつも通りどんちゃん騒ぎの中に座った。お頭はいつも通り両隣に美人を侍らせ上機嫌に酒をのんでいる一方で私は放心気味に酒を飲んでいた。あの妙な雰囲気のお頭一体なんだったのか手を繋がれたりなんかして……もしや幻だったのではと疑いたくなっても耳元に触れればイヤリングが確かにそこにあって現実だったことを教えてくれる。
何はともあれ自分に都合よく考えればお頭からのプレゼントと言っても過言ではない、はずだ 。そう思ううちに不意に胸が高鳴り始める。いつも女たちに囲まれるお頭を見ては鬱屈とした気持ちばかり溜め込んでいた胸がこの時ばかりは嬉しさでいっぱいだった。
これがお頭にイヤリングを貰った日の記憶である。『お頭からプレゼントされた』という事実に浮かれに浮かれ、酒を浴びるように呑んだら翌日盛大に二日酔いになったことが懐かしい。
でも、もうそんな思い出ともおさらばだ。
最後にもう一度だけ、と船長室の扉の前に立つ。
深呼吸して手を扉に伸ばすけれど、やっぱり勇気は出なくてノックすることは出来なかった。それでも諦める為の最後のなけなしの勇気を振り絞って扉を見つめる。
「あなたが好きです、シャンクス。ずっと好きでした」
閉じたままの扉に向かってひと息に言い切ってようやく呼吸ができた。
震えきって蚊の鳴くような小さな声にしかならなかったけれど最後のケジメはつけられたと思う。
踵を返して甲板に向かう手には私の気持ちと思い出を詰めた小瓶が一つ。
夜の海は暗い色をしている。真っ暗な波間。瓶詰めはきっとすぐ紛れていくだろう。
彼女の思いを知るのはこの先ずっとこの暗い海ばかり。そう真っ赤な髪の想い人に届くことはない、はずだった。
瓶詰めを握りしめ思い切って大きく大きく振りかぶる。
「さようなら」
そう呟いたのに腕は振りかぶったままピクリとも動かない。力強い手に阻まれているという事実に、誰かに私の心を知られるかもしれないその事実に頭がついて行かず声ひとつ出せずにいるとその手の主が口を開いた。
「なァ、どこへいくんだ」
息を呑む。誰より聞きなれた声だ。この船に乗る者なら誰だってその声に従って宝を探し宴を開く。
「なんで……お頭がいるんですか……」
「目が覚めちまったんでな。すこし風を浴びに来た。それで? さよならってのは何のことなんだ」
「は、話しますから。あの腕を」
小瓶をこの人にだけは。言い訳ならいくらでもすればいいだからまず小瓶を隠さなければと腕を引く。
けれどシャンクスは彼女の腕を離さなかった。
「なンだよこのままでも話せるだろ?」
「どこにも行きません。さよならなんて言ってないし聞き違いじゃないですか! もう離してください!」
頭はもうめちゃくちゃで、この人に触れられている事が嬉しいとか今すぐ離してもらわなくちゃとか。
「あァそうか……」
妙に静かな声でそういってようやく離したかと思うとその手はするりと私の耳に触れた。
「ここはどうした。イヤリング、また無くしちまったか。あれからずっとしてたろう?」
ヒヤリとした。それはいまこの手の中にある。
「あはは本当によく見てますね。そうです無くしちゃいまして」
「ならまた買いに行こう」
またおれが選んでやろうかなんて冗談めかして笑った声に浮かんでしまった喜びを必死になって打ち消して絞り出すように返事をした。
「いやもうイヤリングはいいかなって。新しく買いに行くつもりももうなくてだから大丈夫です」
もういらない。もう恋心を捨てさせて欲しい。その一心で言葉を連ねる。
「そろそろ中に戻ったらどうです?」
「おまえが戻らないなら戻らない。一緒に居させてくれ」
とてもずるい人だ。なんでいまそんなことを言うの。
「だめか?」
その言葉にきっと三〇分前の私なら仕方ないですねと答えただろう。無駄な期待をして胸を少しだけ高鳴らせて喜んで返事をしたに違いない。
私の決心は揺らがなかった。
「……だめです。今日はひとりがいいんです」
「そうか」
また静かな声でそう言うと私に背を向けてくれた。
ようやく一人きりになれた。一連の出来事にドクドクと音をたてていた心臓が再び静かに落ち着いた頃。深呼吸をしてもう一度大きく振りかぶろうとしたときだった。
ドタバタと駆ける音が聞こえて咄嗟に瓶を後ろ手に隠して振り向くと目の前に赤髪の人が帰ってきていた。
「な、なんです? そんなに急いで」
落ち着いたはずの心臓がまたうるさくなる。
「だあーやっぱ無理だ! なァそれの中身あのイヤリングなんだろ!? さっき見えちまった」
髪をガシガシとかいて堰を切ったように話しはじめたお頭にどうしていいか分からない。
「いまおれから隠したってことは黙って処分しようって魂胆だったのか……ハハ図星、か」
いくつかの事実を言い当てられた私の動揺ぷりは分かりやすかったらしい。お頭らしくもない乾いた笑いが暗闇に漂っていた。
押し黙る私をじっと見つめる彼が次に発した言葉はまるで理解不能で私は戸惑うばかりとなる。
「あーまァそうだよなァ。他の男から貰ったもんずっと付けてるわけにいかねェってンだな、そーかそーだよな。おれも似たようなコトしたわけだし分からねぇじゃねぇけど、ちとこいつはキツイなァ」
なぜか項垂れて、それでいてなにか誤魔化すように髪をぐしゃぐしゃとかくその仕草にも並べられた言葉の数々もなにもかもが理解不能だった。ただ一つ分かることがあるとすれば太陽みたいに笑う人がいま暗闇の中わたしの一歩先で辛そうにしていることだ。
「なんで、そんな辛そうなんですか」
思わず思考がそのまま口をついてでてしまう。
「なんでっておまえ……そりゃあ好きな女がかっさらわれたところなんだ。さぞ情けねェ男に見えるだろ」
肩を落としたまま口を尖らせていつも拗ねた時にするのと少し似たような顔でお頭はそう言った。
「おかしらの好きな女って……?」
落ち込んでいる男を目の前にしてようやく私の中でなにかがつながりはじめる。
「……お前だよ。とっくにわかってるんだろ? お前が好きでそのイヤリングを贈った。昔してたヤツが元カレと思い出の品だときいたときは失くしてくれて良かったと思ったさ。おれので上書きしたいなんてガキくせぇこともしたな」
「おかしらがわたしのこと好き? ほんとに?」
「おれ傷心中なんだけどなァ。お前わかっててそんなにきいてくるの結構酷いぞ」
「だって信じられなくて」
「ハッおれのせせこましいアピールはまるで効いてなかった訳だな。どうせ最後になるならいくらでも言ってやろうか? 好きだ、ずっと好きだった。お前のことがずっと欲しくてしかたない」
もちろん今も、だから傷心中なンだおれは。と空元気で笑おうとするその人に向かって私はようやく一歩を踏み出す。
「わたし、お頭が好きです。私もずっと好きでした」
「ハハありがとう。慰めでもお前から言われるとやっぱ嬉しいもんなんだな」
私は長い間この人の気持ちに気づかなかったけれどこの人も私の気持ちに全然気づいていないんだ。さっきまでの私もきっと同じ顔をしていたんだろうな。
「慰めなんかじゃなくてほんとにずっと好きなんです。だからええと、」
上手く言葉にならない。伝えなくちゃいけないのに伝わって欲しいのに。……あ、そうだきっとこれなら伝わる私が何年も溜め込んで諦めて全部詰め込んだ私の気持ちが今この手のひらの中にあった。
「これ、受け取ってください」
「突っ返すのは流石にナシじゃないか?」
「あっいや違いますほんとに!」
慌てて瓶詰めからイヤリングを取り出す。瓶詰めには捨てられなかった手紙たち。
「ええとラブレターです」
「は?」
「ラブレター。何年も前から書いてでも渡せなくてでも今だって思って」
「なんで? いや捨てようとしてたじゃねェか」
「だってだって! お頭いつも陸では綺麗なお姉さんはべらせてるし! 私に男娼に行くのか? とか言ってくるし眼中に無いのかなって。流石にもうこんな不毛なことやめようって決心してこの気持ち捨てるつもりできたのにお頭がなんかいきなり来て私が捨てるの止めたりなんか好きだったとか言ってくるから!!」
どんどんめちゃくちゃに捲し立てるように思ったこと全部を吐き出していく。
「だから! 諦めなくてもいいのかなって思って私の勘違いじゃないならこれ受け取って貰えませんか……?」
最後はなんだかもうよく分からなくなりながらも半ば押し付けるように瓶を渡す。
「いいのか」
「な、なにが?」
「いや、いいってことだよな。そっかラブレターか……」
さっきまで落ち込んでた表情はすっかり晴れていて恥ずかしいくらい嬉しそうに手紙を読んでくれている。
「なァこれからは名前で呼んでくれるか? お頭じゃなくてな」
「……し、シャンクス」
これが恋人になるってことなんだろうか。頬が熱い。名前を口にしただけなのに嬉しくて幸せでどうかしそうだ。
「ナマエ 、もっとこっちに来い」
力強く引き寄せられて、いつもかっこよくはためいてるあの外套にくるりと包まれる。
抱き締められているのだと気づいた時にはつむじから毛先からおでこ、瞼、鼻先、それから。
溺れそうなほどのキスの雨。
こうして長い片想いと馬鹿みたいな勘違いを経て私たちはようやく恋人になった。