思い出
「お嬢さんもきっと気に入るだろうさ」
その人の声がわたしの手を引いてくれた。勇気を出してあの赤髪海賊団の船に乗せてほしいと言った日のことを私は今でもよく覚えている。特に今日みたいにどうしよもなく気が落ちて悩み事に埋もれてしまうような日はあの日のことを思い出すようにしている。わたしにとって始まりの日、あの日を思い出せばまた前に進めるようなそんな気がするのだ。そうして私は今日も思いかえす、大切な彼らとの最初の思い出を。
あの日彼らが偶然立ち寄った街の酒場が偶然にも私の行きつけの店だった。始まりはそんなちょっとしたことだった。信じられないような本当の話が酒場を幾度となく沸かせて私はそのひとつひとつに心を奪われた。昔から海へ出ることを夢見ていた私にとって赤髪海賊団の面々が語るすべてが魅力的な誘い文句のように聞こえてしまって私はその偶然を運命なんじゃないかと思った。簡単にそんな考えに至ってしまうくらいあの頃の私は夢見がちでまだ初心な女だった。
運命を信じ切った私は気づいたときには船に乗せて! と叫んでいた。途端その場がしんと静まり返った。今思い出しても少し怖いくらい。彼らはみんな私が真剣に言っていることを理解していたんだと思う。それでいて大きな勘違いにも気づいていた。だから彼らはみんな黙り込んでしまったのだ。口を開いたのは船長、ではなく副船長のベン・ベックマンだった。
「お嬢さん」
と彼は呼びかけた。その夜酒場で幾度もきいた呼びかけだったはずなのに、まるではじめて聞く言葉のように思えた。冷や水を浴びせかけられた気分っていうのはきっとあのことだ。彼の声はそれまでの気のいい船乗りの声ではなくなっていた。それは間違いなく海賊船の副船長をあずかる男の声だった。ベックマンは言葉を続ける。
「おれたちは海賊だぜ?」
その一言で十分だった。椅子に座り込み「そうでしたね」と返すのがその時の私には精いっぱいだった。覚悟はあるのかと問われるまでもなかった。きっと自分は海賊船をまるで遊覧船のように考えていたのだ。この世界中に広がる不思議が当たり前の海に夢をみていたけれどそれは危険と隣り合わせでそこにはならず者たちが跋扈している。意気消沈した私をよそに酒場はまた騒がしさを取り戻していた。
その夜、寝付くまでずっと彼の声を繰り返し思いかえしていた。「お嬢さん、おれたちは海賊だぜ?」と彼は言ったけれどそれ以上も以下も言わなかった。世界を見たいと叫んだ私を笑う人はあの場所に一人としていなくて彼もそれを否定したりしなかったことにだんだんと気づき、やっぱり海に出るなら彼らと共に行きたいと思いを新たにして眠りについた。
翌日、偶然にも街角でベックマンさんに出会った。気のいい船乗りの顔をして見せた彼が慣れた様子で私を口説くものだからいつのまに彼に街の案内をすることになっていた。
「お嬢さんは海が好きなのか」
なにげない調子で聞かれて私は思わず素直に答えてしまった。昔から憧れていたことや時折やってくる船乗りたちの語る話に幾度も胸を躍らせたこと、行ってみたい島や見て見たい現象まで聞かれてもいないのに熱弁していた。彼はそれを中断することなく聞いていてくれた。
「ってすみません。こんな話つまらなかったでしょう」
「いいや? お嬢さんは昨日もそうだったが海の話になると一段といい顔で笑うらしいな」
「そ、そうですかね。お恥ずかしい限りです」
「あァ、お嬢さんが船に乗った時にゃどんなにイイ表情をするんだろうなんて思っちまったよ。うちの船ならお嬢さんもきっと気に入るだろうさ」
そう言って笑う彼の表情はなぜか気のいい船乗りの顔とも昨晩の恐ろしい副船長の顔とも違うような気がした。この人は本当はこんな風に目を細めて口角をぎゅっとあげて目いっぱい少年みたいに笑う人なのかもしれないと思った。もっとこの人のこの表情を見て見たい、そんな欲が顔を覗かせる。
「昨日は突然船に乗せてくれなんて言ってすみませんでした。でも、あのあと家に帰ってからも考えたんですけどやっぱり私ベックマンさんたちと同じ船に乗りたいです」
「ほう? 大人しく引き下がったのかと思っていたんだが、なんでだ」
「そうですね、私の夢を笑わないでくれたからっていうのも大きいんですけど。何よりもみなさんと一緒に体験してみたいなって思ったんです。一緒に冒険して一緒に笑って生きてみたいなと」
「そいつァ……悪くねェかもな」
私たちは話す間に街の中心部の市場に辿りついていた。市場を回る間に幾人か彼の仲間たちに出会っては案内をせがまれて気づいたら大所帯になってしまっていた。
「いやァ嬢ちゃん話は面白れェし案内もうまいしなんの仕事してんだよ」
「あはは、ありがとうございます。語り部みたいなものに憧れていたせいですかね。仕事はあの酒場の通りにあるジュエリーショップのただの店員ですよ」
「語り部ときたか! なるほどどおりで!」
「ジュエリーショップってことは多少は宝石の鑑定なんかもできるのか?」
「珍しい宝石とかじゃなければ一応は」
「そりゃいい海賊になるにゃ丁度いいぜ!」
やんややんやと囃し立てられながら一行は最終的に昨夜の酒場までやってきていた。
「んじゃ、おれたちゃこれからまたここで呑んでくるわ。案内ありがとな楽しかったぜ!」
気持ちよく彼らと別れたつもりで踵を返すと「なァ」と呼び止められた。ベックマンさんの声だ。
「さっきの話の答えがまだだったろう? おれからの答えは」
「お嬢さんもきっと気に入るだろうさ、だったか? ベック。おれもそうだと思ってたところだ! おまえも同意見ならいよいよ問題はないな!」
ダハハと大口を開けて笑う赤髪の船長が彼の肩を叩いてそう割り込んできた。
「シャンクス....あんたって人は」
「なんだ口説き途中だったか? すまん!」
ベックマンさんは溜息をつくとこちらへ向き直りニカリと悪い笑みを浮かべて言った。
「海賊船に乗る気はあるかいお嬢さん?」