はらはらと舞うように降る雪。白く美しいそれを温かな部屋からぼんやりと眺める。外は氷点下にもなるだろうか。ここは冬島、それも季節は冬真っ只中だった。
「ただいまー」
鼻を赤らめて帰ってきたのは赤髪海賊団の船医、ホンゴウ。髪に乗る雪の結晶を払いながら彼は早速暖炉の前へとやってきた。
「おかえり、寒かったでしょ。すぐにお茶いれるね」
「ん、あんがと」
暖炉の前に上着と手袋を干し終えるとホンゴウは洗面所へと向かう。蛇口を捻れば温かい湯が勢いよく流れでた。ホンゴウはかじかむ指を温めつつ手荒いうがいを済ませると彼女のいるキッチンへ顔を出す。
「なんかいい匂いするな」
「なァにもうお腹減っちゃった?」
ちょうどケトルを火から外したところらしい彼女はティーポットに湯を注いで笑いかける。
「そうでも無かった筈なんだけどな。このうまそうな匂いかいだら腹減ってきた気がするよ」
そう言って彼女に擦り寄ると手元をのぞき込む。ティーポットの蓋に添えられた彼女の手のひらをホンゴウの指が絡め取った。
「あったけェ」
そのままにぎにぎと指先で戯れ合う。
「ふふ、ちょっとくすぐったい」
彼女の声に合わせてホンゴウはいたずらに彼女の首元へ唇を這わせた。途端、子どもじみた戯れにそぐわない色香が混ざる。
「……ん、こら。ホンゴウ!」
身を捩るとホンゴウは簡単にそれを解放した。もう! と頬膨らませた彼女をホンゴウは愛おしげに見つめる。二つ並べたティーカップにお茶を注ぐ間もホンゴウの瞳は彼女に注がれたままだった。
彼女とホンゴウがこのコテージに来てもう二週間が経とうとしていた。ログが溜まるのに一ヶ月かかると知らされたのは上陸してすぐのこと。船員の多くが街に宿をとったがホンゴウと彼女はそうしなかった。一ヶ月も宿をとるくらいならいっそ家を借りて自分たちで身の回りの世話をした方がよっほど安上がりだと二人の意見が一致したからだ。そうして始まった二人の共同生活。普段から船上で共同生活をしているのだから特に問題は無いだろうと高を括っていた。しかしそれは誤った認識だったとすぐに考えを改めることになる。
ここに来てからホンゴウの視線が甘い。それもとびきり。もちろん船にいたときも恋人らしい触れ合いはあった。けれど船上では仲間たちの目がある。お互い仕事もあれば四六時中くっついてもいられない。だから彼女は気づかなかったのだ。ホンゴウとの同棲生活がこんなにも甘いものになるだなんて。
「ホンゴウ、夕飯前だけどお菓子も一緒にどう?」
籠に盛ったクッキーを指し示してみる。
「もしかしてナマエがつくったのか」
「うん、一応砂糖とバターは控えめにしてみたんだけど」
ホンゴウの手がクッキーへと伸びるのをじっと見守る。味見もしたので大丈夫だと思う反面、彼好みの味にできているかまでは自信が無かった。けれどすぐにそれが杞憂だったことが分かる。彼がクッキーの山にもう一度手を伸ばしたからだ。
「お口にあったみたいでよかった」
もぐもぐと二枚目のクッキーを口に含んだままその手は既に三枚目をつまもうとしている。
「立ち食いはそこまでにしてね。向こうに持っていってから食べよう、ね?」
促すように彼を見上げる。そうだなと頷いた彼がしかし一向に動き出さない。どうしたのかと再び顔を上げると狙い済ましていたかのように彼の唇が近づいてきて。
「ん! ちょ、っと。んむ」
「んー?」
抗議の声は再びの口付けによって封殺される。毎回なにが彼の琴線に触れるのかは分からないがここに来てから時折こうして彼が不意打ちのようにキスをしてくるようになった。
何度も角度を変えて味わうように唇を重ねられ最後にちゅっとリップ音をさせるとようやく離れていった。
「ごちそうさん」
ホンゴウは満足気に言うとティーカップを手に収めてリビングへと向かった。
「……もう!」
暖炉の前の椅子に二人並んでかけて他愛のない話をする。明日の天気はどうだとか、街でたまたま見かけたクルーが女と一緒にいたとか、お頭は今日も酒場に入り浸っているらしいとか。久しぶりに聞く仲間たちの様子につい笑いがこぼれる。窓の外はいつの間にかすっかり日が落ちて真っ暗になっていた。
「明日は予定あるか?」
夕食の席に着くと不意にホンゴウが尋ねてきた。
「なにもないけど、どうかした?」
「明日は久しぶりに晴れるらしいんだ」
「さっきもそう言ってたね。それで?」
「だから、その。デートしてェなって」
言葉に詰まりながらも視線は真っ直ぐだった。彼からの嬉しいお誘い。乗らないなんて有り得ない。頷いてみせるとホンゴウも嬉しそうに笑った。
「デートなんて久しぶりだね」
浮かれてつい声を弾ませてしまう。もう何年も前から毎日顔を合わせているのに。今なんて朝から晩まで彼と一緒。さながら新婚生活状態だと言うのにやっぱりデートと聞くと嬉しくなる。明日はどの服を着ようかな。
「あァ楽しみだな」
彼からの視線がまたしてもとびきり甘い。それはとても嬉しいけれど同時にどうしても恥ずかしくて誤魔化すようにご飯を口いっぱいに頬張った。彼がフ、と笑った気配がした。
「ね、折角だから待ち合わせしない?」
それはただの思いつきだった。
「うちから一緒じゃ駄目なのか」
皿を洗っていたホンゴウが怪訝そうな顔をする。
「駄目ってことは無いけど」
「けど?」
「陸にいるわけだし、陸の……普通の恋人同士みたいなことしてみたいなって。どう?」
島に上陸しても出かける時は大抵どちらかの部屋で合流するか甲板あたりで一緒になってしまう。だから待ち合わせなんてあまりしない。
「んーまァおまえがそうしたいってなら」
「ありがとう」
あまりピンと来ていない様子ながらも承諾してくれるのは彼の優しさゆえかわたしへの愛ゆえか、なんて。きっとそのどちらでもあるのだろうととうの昔に知っている。
「じゃあ明日は昼前に時計台の下あたりで」
「了解。とびきり可愛くしていくから楽しみにしててね」
「ちゃんと暖かい格好にしろよ?」
「ふふ、わかってる」
洗い物を終えたばかりで冷えきったホンゴウの手。その手をとってリビングへと引っ張っていく。黙って大人しく着いてくる大柄の男が可愛く思えて仕方ない。
「ちょっとここに座ってて」
可愛い彼を椅子に押し込めて棚から軟膏を取り出す。それはホンゴウ特製のハンドクリーム。彼いわく「おまえの身体を管理できるのはおれの特権だろ」とのこと。仲間たちからは変態かよ! とからかわれていたが船医である彼ならではのその独占欲に実はキュンとしていた。勿論仲間にも彼にも内緒だけれど。
手にとったクリームは最初こそ硬いような感じがするものの体温で温まるにつれて柔らかくよくのびる。多めにとったクリームの半分を彼の手のひらに移してマッサージするように塗り広げいく。
「あー気持ちいい」
「ホンゴウ今のおじさんぽいよ」
「まァ実際若くもねェからなァ」
はは、と笑いをこぼす彼は確かに出会った頃よりも随分大人びた。いくつもの荒波と激闘を乗り越えた彼にはもうあの頃のような青さは感じられない。けれど惚れた欲目かもしれないが、今は滲みでるような色気と渋みが増したような気がしている。なんなら昔よりも今の方がモテているような。
「……ずるい」
「なにがだよ?」
「なんでもなーい」
嫉妬したなんて癪だから言わなかった。その代わりちょっとだけ力を強めてマッサージしてみる。結果としては、ホンゴウがまた気持ちよさそうに唸り声をあげただけだった。
翌朝、目が覚めたときまだホンゴウは隣で眠っていた。結わえられていない短髪を撫でつけるこの時間が密かな楽しみだったりする。
「おはよう」
寝起きの少し掠れた声が鼓膜を震わせた。彼の髪に触れていたはずの手はいつの間にか絡め取られてしまった。残念。
特別感なんてない平凡で穏やかな朝だった。
「じゃあ先に出るけど、必ず暖かい格好してくること! わかってるな!」
「はいはい」
寝間着姿のままホンゴウを一度見送ってから支度を始めた。一人ファッションショーを開催してから決めたとびっきりのお洒落とメイク。最後に鏡の前でくるりと一回転。時計の針を確認すると十一時少し前だった。
戸締りをして家を出る。雪の上には既に踏みしめられたあとがついていた。彼の足跡を辿りながら街へと歩いていく。ここに居ない彼を感じて足取りは軽くなった。
街の中心部、時計台の下。ホンゴウは手持ち無沙汰に空を見上げる。彼女は楽しみにしててなんて言っていたがどんな格好をしてくるだろうか。毎日顔を突合せているのにそれでもデートひとつに自分と同じく浮かれてくれた昨日の彼女を思い出して顔が緩む。
「あれ? ホンゴウ先生じゃないですか」
突然の呼びかけにホンゴウは視線を彷徨わせる。
「やっぱり! ホンゴウ先生だわ! 先日はありがとうございました」
一人の女がホンゴウの腕に手をかけて笑いかけていた。女からは微かに花の香りがする。
「あァあんたか。元気そうだな」
「先生のおかげです。ねェ先生いまお時間はある? 良ければお礼をさせて?」
「前も言っただろ。礼なんていらねェ、あんたが元気ならそれでいい」
「でも」
女はホンゴウの腕にしがみついてなおも食い下がる。花の香りが一層強くなる。
「離れてくれ」
仰け反って距離を取ろうとするも女はめげずに距離を詰める。女の瞳には確かな熱がこもっていた。
「今日が駄目なら明日でも、明後日でも。いつでもいいんです。ぜひお礼をさせてくださいませんか」
「あのなァ」
一向に離れる様子の無い女をいよいよ力づくで引き剥がすしかないかと考えはじめたその時だった。
「ホンゴウ、お待たせ。それとお姉さん、ごめんなさい。その人もうわたしのものなの。だから諦めて?」
絡みついていた女の腕に手をかけてホンゴウの待ち人が静かに微笑んでいた。
待ち合わせ場所手前ですぐにホンゴウを見つけた。一般人と比べてガタイが良く加えてあの特徴的なヘアスタイル、遠目からでもそれとわかった。そして彼が女性に絡まれて困っていることも一目見ればわかる。お頭や副船長とは違うベクトルではあるがホンゴウもモテる。しかも火遊びなんかじゃなく真剣交際を望むタイプの純な子ばっかりが彼の魅力に気づいてしまう。ホンゴウは女性から距離を詰められてもされるがままな時が多い。決して鼻の下を伸ばしてデレデレしてるとかじゃない。きっと彼のことだから、一般人のそれも女の人相手に力づくで振り払おうとして万が一にも相手が怪我をしたらとかそんなことを考えて躊躇っているのだ。そんなことは分かっている。分かっているけれどやっぱり目の前にするとモヤモヤしてしまうもので。
努めて明るい声で呼びかける。彼と目の前の女に向けて。女の腕に手をかけてやれば相手は慌てて腕を引っ込めてくれた。良かった。まだ彼女の恋は芽吹きかけだったらしい。ホンゴウの手を取って歩き去る。自然と絡められた恋人繋ぎでいとも簡単に胸のモヤモヤがどこかへいってしまいそうで、それがなんだか腹立たしくて。
「ずるい」
結局口に出たのはそんな台詞だった。
「ずるい……?」
「モテモテだったね、せんせー?」
「先生はやめてくれ。お前にそう呼ばれるとむずむずする。それにこの前話しただろ、花屋で人が倒れたってやつ」
「あァ取り寄せた花に毒性があってどうのってやつ? でも倒れたのがあんなに可愛い女の子だったなんて聞いてない」
「なァ、もしかして……妬いた?」
頬をひくつかせて、いかにもにやけ顔のホンゴウがこちらを覗き込んでくる。
「……待ち合わせなんてしなきゃよかった、とは思った」
ぶすくれて答えたのに彼は相変わらずご機嫌だ。
「そうか? おれは楽しかったけどなァ。おまえのいい啖呵が聞けた訳だし」
「もう! いじわる!」
怒ったふりをして彼の先を歩こうとするのに繋いだ手が邪魔をする。
「はは悪かったよ。実際すげェ困ってたところだったから助かった。ありがとうな」
頭のてっぺんに触れたのはホンゴウの唇。宥めるようなその口付けに免じて歩調を緩めた。
